『DEATH STRANDING』レビュー:しかし、配達やってます。いつの日か世界を救うと信じて


この記事はYYSK.ICU Advent Calendar 2019の3日目です。昨日は栞太郎さんの「はろー! ぴぽー!朝霧めとろです!」でした。

2019年11月8日に、『DEATH STRANDING』が発売されました。

『DEATH STRANDING』(以下、「DS」)は、小島秀夫監督のKONMAIKONAMIからの独立後初となるPlayStation4用ゲームソフトです。

前作『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』が2015年だったので、実に4年ぶりの"A HIDEO KOJIMA GAME"となります。

……という前置きを長々と書いても何もおもしろくないので、その辺はメディアとかの記事で見てください。

重要なことは、「メタルギアソリッドの小島監督が、4年ぶりに新作を出したんだ〜」ということだけです。

メタルギアというゲームは、これまたその革新性については様々なところで言及されているのでここで語るに及びませんが、そのジャンルは"TACTICAL ESPIONAGE ACTION(戦略諜報アクション)"、「ステルスゲーム」と形容され、それまでの「アクション=敵を多く倒せばハイスコア」というゲーム性に革命を起こしたとされています。

今作DSも、2016年の発表当時から「全く新しいゲーム」「ジャンルは非公開」などと語られ、再び「新たなゲーム性の創造」が行われるのではないかと期待されていました。

どんなゲームか

新たな「革命」を期待されていたDSは、どんなゲームだったのでしょうか。この点も様々なレビューで言及されていますが、最も多い表現は「『移動』に焦点を当てた」というものです。

DSのゲーム性はゲーム内での目的と密接に結びついています。なので、ゲーム性について述べるために、まず簡単なストーリーをご紹介します。

「デス・ストランディング」という謎の現象によって、アメリカ合衆国は崩壊した。
デス・ストランディングと共に現れた「BT」と呼ばれるあの世の存在は、人間を食うことで「対消滅(ヴォイド・アウト)」を起こし、巨大なクレーターを作りだす。人々はそれを恐れ、都市やシェルターに篭って暮らしている。 主人公・サムは、そんな孤立して暮らす人々のために物資を運ぶ「ポーター(運び屋)」を稼業とし、「伝説の配達人」と呼ばれていた。
ある日、配達中の事故がきっかけで育ての母であるブリジットと再会したサムは、「都市を繋ぎ直し、アメリカを再建してほしい」という遺言を受け取る。
最後の合衆国大統領でもあるブリジットは、合衆国崩壊後も「アメリカ再建派」を率いていた。同時に、サムは残された各都市に新たな「アメリカ都市連合」への加盟を呼びかけるため西へ向かった遠征隊を率いるブリジットの娘・アメリが、西海岸の都市「エッジ・ノットシティ」で囚われの身になっていることを知らされる。
かくしてサムは、亡きブリジットに代わりアメリを新たな大統領として迎えアメリカを再建するため、都市と都市を「カイラル通信」で繋ぎながら、アメリ救出のためエッジ・ノットシティへ向かうことになるのだった。

このように、このゲームの基本的な目的は「デス・ストランディングで荒野となったアメリカ大陸を、都市と都市を繋ぎながら、東から西へ踏破する」というものです。つまり、ゲームの目的それ自体が「移動すること(具体的には、次の通信拠点となる都市や施設までがんばって"行く"こと)」になっているのです。

一度行って終わりではありません。遠距離のカイラル通信を繋ぐためには、シェルターで孤立して暮らす人々(プレッパーズ)の協力が必要なこともあります。そこでサムは、住民から「配送依頼」を受け、モノを届けることで信頼を得ることになります。つまりは「配達」です。荒廃した大陸では、モノを届けるために移動すること自体が命がけです。そんな状況なので、危険を省みずに「配達」を行うポーターは人々から絶対的な信頼を得ることができるのです。実際のゲームでは、新たな都市へ向かうメインミッションと呼べるものも全て、足りないモノを届ける「配送依頼」という形で進んでいきます。

究極のおつかいゲー、そしてウォーキングシミュレーター

DSを「究極のおつかいゲー」と表現している人がいました。これは確かに、DSを初見の人に説明するには便利な表現だと思います。基本的には、地点Aから地点Bへ、地点Bから地点Cへ、それをひたすら繰り返すことになります。 それだけ聞くと「なんじゃそりゃ」となりますが、DSは「それがメイン」のゲームです。すなわち、「地点Aから地点Bへ行く」こと自体を「遊び」へと昇華しようと試みたゲームなのです。

実は私たちも「地点Aから地点Bへ行く」ことをわざわざ「遊び」として行うことがあります。一般には「遠足」「ハイキング」「登山」などと呼ばれる行為のことです。登山と言うと少し響きが専門的すぎるかもしれませんので、より当てはまる表現としては「山歩き」などがあるでしょうか。
これらは「計画を立て、持ち物を吟味し、目的地に到達する」行程そのものを楽しむ行為です。もちろん、道中や到達地点で綺麗な景色を見るといったことも、楽しみの中には含まれているでしょう。しかしその本質は「自分でそこへ行くこと」にあるのではないかと思います。でなければ、なぜわざわざ険しい自然に分け入っていくのでしょうか?

DSは、その楽しさをゲームに落とし込みました。サムは、初期状態でもびっくりするほど荷物を持てますが、それでも無限ではありません。自然に還ってしまった大陸を進むためには、時に険しい山や谷を越えなければなりません。そんな時には梯子やロープが必要になりますが、それらは私たちの知っているゲームのように不思議なチカラで「もちもの」欄に納まってはくれたりはしません。配送依頼を受けた荷物のほかに、サム自身が必要な荷物もまた、重さと相談しながら運ぶしかないのです。
さらに、ただ運ぶだけでも困難があります。DSではフィールドがとてつもない情報量を持っており、目に見える凹凸や乾いた土、泥、草地、岩、雪など、あらゆる自然の要素が「歩きやすさ」に反映されています。踏み固められた土の上なら全力で走ることもできますが、泥の上で同じことをすればあっという間にすっ転んでしまうのです(そのためにプレイヤーはL2/R2を駆使して体のバランスを取ることになります)。荷物は背負うほか、配達人スーツの肩や両脚にも据えつけることができるのですが、重心が前後左右に偏っていると、それだけでそちらの方向に転びやすくなってしまいます。転べば、運んでいた荷物は投げ出され、傷つきます(当然ですね)。もし斜面や崖の近くでそんなことになれば、二度と回収できないかもしれません。

つまり、DSは「究極のおつかいゲー」であると同時に、「どうすれば安全に目的地につけるか」を想定し、計画を練り、実行する「ウォーキングシミュレーター」でもあるのです。

ここから言えることはひとつです。山歩きが好きな人は、絶対にこのゲームをやるべきです。私はアクションゲームをプレイする際、常々「目に見えるフィールドと操作するキャラがその上を移動する際の動きの差」にイライラさせられてきました。例えば階段です。3Dのゲームを一度でもプレイしたことがある方であれば、見た目は階段なのに、なぜか段と段の間で空中に浮いているように立ち止まる自キャラの姿を見たことがあるのではないでしょうか。私はそれが本当に我慢なりませんでした。これのどこが階段なんだ!と。もちろん、アクションゲームなのにそんな細かいところに拘ってどうするんだとか、そんなところに割くリソースがあるわけないとか、当たり前の突っ込みは理解しています。でも嫌だったんです。
しかしDSは、それ自体を「遊び」のファクターとして取り込むことで、そこにリソースを割いてくれました。私にとっては、単純にそのことが快感でした。石だらけの河原を走ったら躓く、当然のことです。その当然を形にしてくれたDSは、単にマップの解像度が高い普通のアクションゲームとは質的に一線を画す「新たなゲーム」といえるでしょう。

設定とか世界観とか

ここまではDSのゲーム性と、それって何が楽しいのかということについて述べてきました。ここからは「遊び」の外側、すなわちストーリーやその背景にある世界観や設定についてもう少し詳しくご紹介します。そういった内容は自分でプレイしながら知りたいよ!という方もいると思います。私がDSをなぜおもしろいと思っているかは前節までで伝えられたと思うので、そういった方はここでページを閉じてもらっても構いません(このあとDSを買うのを忘れずに!)。

以降、設定とか世界観について述べますが、執筆時点ではストーリーの6割程度(たぶん)しか進んでいないので、完璧な情報ではありません。あくまでどんな感じの話なん?という雰囲気を掴むため程度に考えてください。気になる人は自分でプレイしてね。

まず、『DEATH STRANDING』はその名のとおり"death"(死、死生観)と"strand"(繋がり)をテーマにしています。
「デス・ストランディング」という語は、第一には「死(の世界)の座礁」のような意味で使われています。デス・ストランディングとは何なのか?ということは、(少なくとも途中までは)作中の人物も誰もわかっておらず、むしろそれを知るために先へ進む物語になっているので、あくまで想像になりますが、「それまでこの世界=生者の世界と分かたれていた死者の世界がなんか部分的にくっついちゃった、そのせいであの世のものがこの世に流れ込んでくるようになっちゃった」というようなことのようです。作中でデス・ストランディングを研究しているキャラクターが「デス・ストランディングによって人間が死を認識できるようになった」と言っていますが、「認識できるようになったから死の世界とくっついた」のか「くっついたから認識できるようになった」のかはよくわかりません。そして、「死を認識する」ということは「新たな感覚の獲得」であり、「進化」なのではないか、との推測も登場します。これは中々おもしろい設定だと思いました。なぜなら、「死というのが具体的にどういうことなのか認識できるようになった」ことによって、これまでの死生観が完全に陳腐化するからです。あまねく宗教というものは、その根幹に死生観を持ちます。というより、宗教とはそれすなわち死生観と言ってもいいのではないかと思います。そういうわけで、デス・ストランディングは(対消滅による)単なる物理的な災害である以上に、人間の文化(人間の営みのうち、道具を発展させる側面を「文明」とするなら、それ以外の部分)のありようを根本的に変えてしまった現象であるというわけです。

死の世界からこちらに来てしまうものの代表が、「BT」です。BTは、「還る場所を見失った死者の魂」であると説明されています。デス・ストランディング以降、死者の肉体は死後48時間程度で「ネクローシス」という現象を起こすようになってしまったといいます。遺体がネクローシスを起こすと、肉体から離れた魂が自分が死んだことに気づけず、死者の世界に行かずにこの世に留まってしまいます。この魂がBTの正体です。逆に、48時間以内に遺体を焼却すれば、死者の魂は自分が死んだことを認識し、死者の世界へ向かいます。そのため、作中で人を殺してしまった場合、フィールドに何箇所か用意されている焼却炉に運ぶことになります(実際にはまだ殺したことないです)。実は、冒頭で再会し息を引き取った義母・ブリジットの遺体を焼却炉まで運ぶのが最初のミッションでもあります。 まあここでも燃やす以外の方法はないのかとかなんで48時間なのかとかはありますが、まあそこはツッコんでも仕方ないでしょうか。

この、肉体と魂を分けた考えの元ネタとして、作中では古代エジプトの死生観が挙げられています(が、詳しくないので詳細は割愛します)。ここでちょっと思ったのは、「ハガレンっぽいな〜」ということです。ご存知ハガレンでは「肉体と魂があり、両者は精神という紐でくっついている」とされていて、アルは肉体を失ったものの、精神と魂はあの鎧を肉体の代わりとすることでこの世に留まっているという設定です。ここから言えるのは、元ネタがエジプトだかなんだかはよくわからんけど、根本的なアイディア自体は日本人が受け入れやすい、ある種よくある設定なんだな、ということです。そもそもデス・ストランディングの謎を追うストーリーラインであったり、色々用語が出てきたりと、ちょっと見て「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」を想像した方も多いかもしれないなあと思うのですが、DSでのそれは、作中の人々もまた、よくわからん未知の現象に対してどうにかして既存の語彙を当てはめて理解しようとがんばっていることの結果なわけで、そういう意味ではリアリティがあるとも言えるように思うわけです。見掛けはともかく、核となるアイディアは思っているよりも分かりやすいので、この記事で少しでも誤解が解ければ良いなあと思います。

デス・ストランディングはこの世とあの世がくっついた、ないしは接近してしまった現象だったわですが、その「間」も様々な場面で登場します。
デス・ストランディング以降、「ビーチ」の存在が明らかになりました。ビーチとは、個々人に紐づく「あの世」への入口のことです。海岸ぽく見えるからそう呼ばれているっぽいです。さらにその手前に、ビーチとこの世を繋ぐ「結び目」という空間?が存在します。構造としては、「みんなで共有しているこの世」ー「結び目」ー「個々人のビーチ」ー「あの世」となっています。そして、ビーチは無時間です。つまりビーチにどれだけいようが、この世での時間は経過しません。実は、ストーリーの説明に登場した「カイラル通信」とは、このビーチ経由で通信することによってゼロ時間通信を実現したヤバテクノロジーのことです。これが明言されるのは開始からけっこう経ったあとなんですが、途中で「やっぱそうなんかなあ?」と思っていたら案の定だったので笑いました。ただ、今のところビーチは個々人に属すると言っているのに、ビーチを経由して通信って誰のビーチを通ってんねんという疑問があり、一応それっぽいヒントは出ていますが、はっきりとしたことはまだわかりません。

実は、デス・ストランディングによって世界のありかたが変容したのと同時に、「DOOMS」と呼ばれる、いわゆる能力者が現われました。DOOMSについては今のところ直接説明されている場面に乏しいので推測ですが、世界のありかたの変容に影響を受けた(=適合した)人類のようです。
メタ的に言うと、超常の存在と契約して能力を得るタイプではなく、大事件によって突如発生するタイプですね。
このDOOMSの能力には非公式ながらレベルが存在するようで、これは「絶滅因子」の強さ?多さ?であるようです。そしてこの「能力」とはどうやら「死の世界への耐性」のことを表わしているようです。
あの世から流入しているもののひとつとして、「カイラリウム」というものがあります。これが含まれる雨は「時雨(ときう、タイムフォール)」と呼ばれ、触れたものの時間を進めます。普通の人間が浴びればどんどん老化していき、最後にはたぶん死にます。DOOMSは、あの世のものであるカイラリウムに耐性を持ちます。よって、時雨にも多少の耐性を持ちます。同時に、BTを感知することもできます。どれぐらいはっきり認識できるかはやはり「絶滅因子」の強さによって決まるようです。
主人公・サムは、比較的レベルの低いDOOMSです。BTを感じることはできますが、はっきり視認することはできません。しかし、より絶滅因子が強いフラジャイルというキャラクターは、自らの意思で自らのビーチへ移動し、ビーチを経由して移動することで、現実世界で実質ワープすることができます。マイクラのネザー通って4倍移動みたいなやつです。さらにさらに、めっちゃ強いDOOMSである敵(アメリを人質にしている、分離破壊主義者=アメリカ再建反対の連中)の首魁は自由自在にBTを召喚、というか引っぱってくることができます。そんなのありかよ……小島監督ってたまにこういう勢いでぶっ飛ばすところがあってこの辺も好き嫌いわかれるんじゃないかと思うこともあります。MGSも舞台はリアルなのに超人みたいのいっぱい出てくるしね。話がそれました。まあ要は強い能力者はビーチだったりあの世のものを結構自由に扱えるということみたいです。

主人公というのは往々にして特別な存在だから主人公なわけですが、サムもまた特別な存在です。前述のようにサムはDOOMSとしてはどうやら割と平凡です。しかし、サムにはもっととんでもない特別性があります。それは死なないことです。

どういうことかというと、まずこの世とビーチは結び目でつながっています。通常なら死者は結び目を通ってビーチに到達しますが、サムはなぜか自分のビーチから拒否られます。すると結び目に押し戻されることになり、結び目はまだあの世ではないので、スポッと魂が元の体に戻って復活するというわけです(どういうこと???)。その結果、サムは「帰還者」と呼ばれています。帰還者がどれくらい珍しい存在なのかは、作中ではイマイチよくわかりません(「あんたはDOOMSで帰還者というめっちゃ珍しい存在」とは言われるのですが、「帰還者」そのものがどれくらいレアなのかは直接言及されているのをまだ見てません)。ただ、DOOMSは死の世界に親和性がある存在なのに、その死の世界であるはずのビーチから拒否られるというのは明らかに矛盾しているわけで、そこにサムの秘密があるのだろうということは予想できますね。

ここまで書いて疲れました。なんと7400文字もあるそうです。アホですね。

まあなんかこれ読んでちょっとでも興味沸いたら買ってください。よろしくお願いします。

なんか余力があれば別の日にまた書きます。

ていうか本当はこんなもの書きたくなかったんですよ。こんな文章でこの作品のおもしろさの全てを伝えることはできないので。

とにかくプレイしてくれ〜以上

おわり