【ネタバレあり】『DEATH STRANDING』ストーリーをクリアしたので所感を述べるやつ


この記事はYYSK.ICU Advent Calendar 2019の7日目です。昨日ははちみつさんの「プリンセスコネクト!Re:Diveを再開した話」でした。

この記事にはネタバレが含まれています。ご注意ください。

この記事は個人の感想です。文中でクソデカ主語に見える箇所があっても、最大限寛容な解釈をしてお読みください。

『DEATH STRANDING』のストーリーをクリアしました。

まあなんか中盤まではもしかして結構手が入ってるのかな?と思ったりしていましたがそんなことはなくいつもの感じ()でした。

いつもの感じというのは、なんか洋画を観て、隣で一緒に観てた映画好きの人に「最後よくわかんなかったけどあれって結局どういうことなの?」と聞きたくなる感じのことです。

この感覚そのものに関しては A HIDEO KOJIMA GAME をプレイしたことのある方であればかなり共感してもらえると思っていますが、その上でそれをおもしろかったと捉えるかどうか、という話になるんだと思います。

このような感覚を生じさせる具体的な要因というのがなんだろうと考えてみると、「中盤までは論理的なのに起承転結の転あたりからは勢いで押し通す」ことなのではないかと思いました。より正確には「論理は崩壊していないのだが、それをあえて背後に回してドラマの勢いを前面には持ってくる作劇方法」といったほうがいいかもしれません。このノリの切り替わりポイントをうまく認識できないと、終盤に入って「あれ?このゲームってこういう話だったっけ?」と物語を見失うことになりがちなんじゃないでしょうか。

実際のストーリーでは、ママーの死(まあ最初から死んではいたのですが)やハートマンの独白あたりまでは、世界の秘密を追うという構造が前面に出ており、徐々に作中世界の輪郭が顕になっていく感覚を純粋に楽しむことができていました。しかしタールベルトを越え、物語がアメリの正体にまつわる部分に差しかかったあたりから、それまでの謎が全て背景に押しやられ、サムとアメリの一対一の関係に全てが集約されていきます。この点をセカイ系っぽいと感じた人も多いようで、ネットでは「Keyみたい」と表現している人もいました。確かに、アメリのビーチという空間はまさに「私たちだけの世界」といった趣であり、セカイ系感を加速させている感じはありましたね。

ただ、全てが終わってから改めて話の筋だけを追っていくと、別に破綻しているわけではないんですよね。プレイヤー視点でアメリの行動が不審すぎるのは最初からといえば最初からですし、サムについても、そのことを薄々分ってはいながらもアメリに請われたら助けにいかざるを得ない関係性なのだということは序盤でも理解できます。そして途中のテンポの悪い説明会をすっ飛ばして考えれば、「この世とあの世の両側から絶滅を避けようと努力してきた→でも無理っぽい→どうせ絶滅するなら今すぐしても同じ→絶滅を発動するには絶滅体の一部になっているサムが必要→サムに下準備をさせながら来てもらおう→寂しいからここで世界が終わるまで一緒にいてほしい」ということになり、それほどおかしいところはないんですよね。

では一体どこに引っ掛かりを覚えるのかというと、表現方法でしょう。映画であれアニメーションであれ、そういった「裏腹の想い」こそ演技を通して伝えてほしいものなのに、今回使われたモーションキャプチャーとCGという表現手法は、「ゲームとして」は現時点で最高クラスかもしれませんが、それらを表現するにはまだ十分な力がなかったと言わざるを得ないと思います。「ゲームにドラマを持ち込んだ」という段階に留まるのであれば、あくまで従来のゲームと地続きの地平でしか評価することはできません。ゲームの範疇で評価するなら間違いなく最高クラスではありますが、「既存の枠に収まらない、新たな表現なんだ」とまではまだ言えないなあというのが結論です。

ストーリーに関して個人的に不満だった部分は他にもあります。まずはなんといってもダイハードマンの扱いが意味不明だったことです。クリア後のフリープレイモードであるエピソード15の存在のせいもあるかもしれませんが、アメリのビーチでブリジットを撃ったかと思ったらいつの間にか帰還して医療班に回収されている、かと思ったらサム帰還のための呼び掛けにもちゃっかり参加しているし、エピローグで時間が飛んだと思ったらいきなり謝罪。正直頭がおかしくなりそうでした。そしてダイハードマンが語る「隊長(クリフ)は許してくれた」だのなんだのというのも、サムとクリフの前で聞いたわけでもないただの願望ですし、一連の事件を通してこの人の中で一体何にどう決着がついたのかが一切理解できませんでした。これも終盤の展開の前景をセカイ系的視点に移行した弊害であり、それまで同時並行的に起こっていた各メンバーの身上話がいきなりエピローグまで飛んでから触れられるというアクロバティックを生じています。正直「今頃その話?もう本編終わったんですけど……」と困惑するだけでした。

以上、クリア後の勢いで書き殴ったためにまとまりのない文章になってしまいましたが、問題点を一言にまとめるなら「『誰の物語』なのかが最後の最後まで示されないせいでどのように物語を観れば良いかがわからない」ということでしょう。エピソード14(本編のラスト)でBB-28は30%の賭けに勝ち(もしくはアメリがかつてのサムと同じようにこの世に送り還し)、アメリのビーチがこの世と切り離され、サムは世界を救った。この結末をもって、これはサムとBB-28の物語だったと言えることになりました。しかし途中までは各々苦悩を抱えたブリッジズのメンバーたちの物語でもあり(各エピソードに話の中心となるメンバーの名前が冠されていたことは覚えていると思います)、サムはそこへ積極的に干渉するというよりは一歩引いた立場(元々アメリ以外には興味がないとは言っているのでおかしくはないですが)で関わるということもあって、サムイコールプレイヤーの視点、つまりサムはプレイヤーがゲームプレイを通して当然に持ったような感情を持つように想定されているという構図が導入された、群像劇のように見える部分もありました。しかしアメリ編に入るとその視点が崩れ、プレイヤーとの精神的な同調が無いままサムというキャラクターの人格が突然物語上で主張しはじめるために、前述したセカイ系視点への移行がうまくいかず、結果的に誰の話なのかがあいまいになったのではないでしょうか。

実は、上記の問題を解決する方法は実に簡単でした。すなわち、アメリがヒロインとして魅力的なら何も問題はなかったんですよね。別に嘘をつかなきゃいけない設定とプレイヤーが助けたくなるかは関係がありませんし。

小島監督はインタビューで「今作は意図的に『物語上の選択肢』は排した」と述べているんですが、プレイヤーが自由に操作するというゲームの世界で決まったストーリーを展開したいなら、それこそプレイヤーをサムに同調させる必要性はより高まるんじゃないですか?と言いたいですね。その観点で見ればサムーBB-28の関係は、BB自体がゲーム性にうまく組み込まれており、よくできていたと思います。ただこの関係を成り立たせるのに必要だったクリフに関しても、もう紙幅を割いて書きませんがダイハードマンと同じことを言いたいですけどね(ダイハードマンよりかは多少マシですが)。どっちも終盤の物語への絡め方があまりにも雑すぎますよ。サムークリフの関係もサムとBB-28の物語の中ではもっと大きなウェイトを占めてもいいはずなのに、プレイヤーがよくわからんまま引き合わされたアメリに出演時間を食われているのは納得がいきませんね。

結局、このゲームのテーマである「繋がり」は、ストーリーからよりもゲームシステム面にある"ゆるやかなオンライン"からのほうがよっぽど感じられた、というのをオチとして今回は終わります。

おわり